麓の国道まで下りて、慰霊の園でお参りしました。
円錐を割った合掌型のモニュメント
その後ろの山腹に身元不明、というより確認できなかった121名の御遺骨が納骨堂に収められています。
その8kmほど先に御巣鷹の尾根があります。
景色は見えませんが、線香を手向け手、碑と御遺骨に手を合わせると同時に現場に手を合わせているように設計されています。
敷地内の資料室には慰霊の為の品のほか、事故当時の様子を伝える資料が展示されています。
当時の惨劇と先ほどまでいた事故現場を頭の中で一致させて。鳥肌が立つ思いがします。
群馬教区浄土宗青年会の毎年の行事ですが、当時の状況を知っているのは親の世代。今の会員はまだ子供時代。メディアの報道でいかに大きな事故が起きたのを知りました。日本の交通航空事故として最大の惨劇。当時私は中学2年。兄が農大二校の野球部で甲子園に行っており、同級生のお父さんが亡くなられた事故と記憶しています。私の父も故人と一緒に1回戦の応援に行って、「2回戦も一緒に行きましょう」と声をかけられていました。2ヶ月後の生々しい状況を父から聞くのもおぼろげな記憶です。
昨年、前橋で弁天通りで撮影された映画が上映され話題を呼びました。道路が整備され第三者が現場を訪れる機会も増えているようです。現場では24年の歳月が経ち現場では緑の生命力に過去の悲惨さが見えづらくなっています。このようなことが繰り返されないために原因を追究し記憶し伝えていくことも大事です。ただどんな立場で、目的で現場に訪れるにせよ亡き人の冥福を祈り、遺族の人の無念さを心に抱きながら山を登らなければ。若い世代に伝えて行くためにもその心は忘れないようにしたいと思います。
合 掌