毛利嘉孝 「10年代のアートと社会」 アートトークin Ya-man’s
アートトーク イン ヤーマンズ
毛利嘉孝 「10年代のアートと社会」でした。
沢山の人が集まりました
基本。地
元の若きアーティストのみなさま。
中には北九州から来た人まで
白川さんが先生を紹介してました。
質問タイムでは「なぜ前橋に来たんですか」
「白川さんに呼ばれたから」は本音としても
以前小倉に住んでいて、前橋も似たような環境ではということも。
経済学部出身で社会学専攻の毛利先生のアートとの関わりに時間を費やしたのですが。
みなさん、うんうん、頷いている中。わたしはアートの知識がないので
???
わかりましぇーん分かった範囲で。10年代のアート。
アートやアーティストの置かれる環境が変わってきている。
銀座のギャラリーが店を畳むことに象徴されるように美術品が売れない。
行政も指定管理者制度などを取り入れながら予算が縮小している。
民間ではイベント中心。儲けるために金をかけるが、製作費には金をかけない。
行政は美術品をコレクションしてくれていたが、それもない。
現在は共通の基盤がなく、その需要も必要性もないなかいろいろな作家が作品作りだけでなくいろいろなことをしている状況。今までにないプロジェクトが増えてきている。
儲かるアーティストは一握りであり、その質も変わってきている。
作品を作る人から、アイデアを出し発注するなど、様々な形に。
学芸員もいままでは行政の運営する美術館があって、絵を仕入れてきて展示をしていた。
これからはイベントを行う中で、アーティストと共同作業をするプロデューサー的役割に。
新しい流れの中で地元のアーティストが盛り上がる仕組みが必要。
1人1人質問タイム。
私は質問はないので自己紹介をして
アートの分からない男しゅんこうです。
地元のアーティストと協力して何かが出来ればいいな。
あとサイン下さい。
なかには公務員の方や美術館の方もいらっしゃいました。
それにしても北九州から来た方というのは
本来ならなかなか聞けない話なんですよー
ということです。
懇親会
ほぼみなさん残って歓談する中
思い思いに先生とお話を。
サインペンを持参し、早速に本にサインを頂きました。
私は早々に失礼して
広瀬川を散歩して
運動しに行って。
お金だけ払って何も食べられなかったおー