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前橋まちなかガイド 朔太郎まちなか遊興コース を巡ってきました。
まちなか博物館をどう活かすか
町に詳しいひとに話を聞くのが一番
ということでまちなかを紹介するボランティア団体のガイドに参加しようということになりました。
観光コンベンションのお導きをいただき
弁天通青年会のみんなで町歩きをしてきました。

今日の講師は 波宜亭倶楽部 のみなさん

朔太郎まちなか遊興コース  

萩原朔太郎のまちなかゆかりの場所を巡ってきました。 


太田写真館跡
e0187286_12495224.jpge0187286_12502444.jpg
今は住吉町。比刀根橋を渡ったところにあります。

この時代にはありえないようなお洒落な写真を撮っています。


e0187286_12514070.jpg来々軒

というとラーメン屋を思い浮かべますが
ハイカラな食事をするところだったそうです。


e0187286_12521841.jpg池馬湯

大正時代の上毛新聞にまちなかで一番古い銭湯と紹介されています。

大正4年の手紙の中に徒歩8分ほどのところの銭湯に行って楽しかったと書いてあります。



馬場川にでて
  江戸時代には馬の調教所があったのでこの名前がついたそうです。

e0187286_12535466.jpg船つぎ石
15世紀にはここが利根川の端。もう一方が鎌倉坂のところ
川幅はおよそ一里(4km)だったとか
どうりで境内の土を掘ると、丸石ばかりなはずです。
e0187286_1254175.jpg反対側に西洋亭があって
手紙のなかに馬場川の洋食屋が出てくるのですがここだと思われます。



e0187286_12545670.jpgその反対側に小谷と言う料亭があり

そこでよく草野心平と飲んでいたそうです。



e0187286_12554957.jpg赤城亭
生家の近くにある牛肉屋
学生のたまり場になっていたとか
今のるなぱぁくのところが赤城牧場だったそうですよ。



e0187286_1256206.jpgスズヤ蓄音器店

ここから紺屋町通りを撮った写真が残っています。


e0187286_1257680.jpg伊勢屋
 薬局ながら洋酒や雑貨をいろいろ手広く繁盛していたお店。
 初恋の人が住んでいたそうです。


e0187286_12591334.jpg米専 
 呉服屋さん。
 当時は麻屋さんより大きくて、全面ガラス張りのショーウインドーに人形があって、そのバカ面に自分の姿を重ねる詩が残っています。


e0187286_1375310.jpg木万年筆
 ここのお嬢さんが朔太郎にギターやマンドリンを習っていました。


e0187286_1385229.jpg新昇ホール
 ここで演奏したりよく訪れたそうです。


e0187286_13101616.jpg新玉のお蕎麦屋さん。


e0187286_13102413.jpgすし長 お寿司屋さん



e0187286_13111719.jpg政淳寺
 お墓があった場所
 ニチイデパートがありました。

一緒に朔太郎の歌を歌って

町歩き終了。

朔太郎と町の歴史を知ると共に
情報と人をつなげて広げるヒントをいただきました。

にしても何も残されていないのが寂しい限り
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by shunkou_hasuike | 2010-12-19 13:15 | 前橋まちなか | Comments(1)
Commented by at 2010-12-20 22:56 x
自分で言うのもおこがましいのですが・・・
昭和21年に我が家が海苔屋を始めまして、旧曲輪町(くるわちょう)に旦那様が津久井医院を営んでらした朔太郎さんの妹の幸子さんと朔太郎さんのお母様がぞろりとした長い羽織をお召しになって海苔をお求めに当店にお越しになったと母が申してます。確か昭和25年頃の話でしょうか。当年とって90才の母はこの町の事でしたら、たいていの事は覚えてますよ。生家が元阪本書店で旧榎町育ちですので。何時かこの年代のお年寄りを集めて話を聞くのも色々分かって面白いと思いますが。
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